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史実・ゲームを基にしていますが、あくまでも当サイト内での設定です。


 宇喜多秀家(1572~1655)

官職:権中納言
通称:八郎、備前宰相
自称:儂
武器:大振りの西洋曲刀(シミター風)
外見:父譲りの美顔だが、童顔のせいか一見似ていない。
    (パーツのひとつひとつは良く似ている)
    長い髪をゆったりと編み、前髪の一部を赤く染色。
    膝丈の短袴にマントを羽織り、革手袋という出で立ち。
    大きな西洋刀を背負っている。

父・直家が大名にのし上がってから産まれた愛息子であり、父の没後は秀吉に気に入られて養子となった。
まさしく、苦労を知らずに育ったお坊ちゃん。
その為か、性格は非常にユルい。
その上、非常にポジティブ。ついでに元気いっぱい。
「大変な事もあったけど、私は元気ですッ!」って感じの人。
また、幼い頃から行長を通じ、舶来品を見て育ってきたせいか新し物好きでもある。

その一方で、物心ついた頃には、周囲にいた人物が年の離れた大人ばかりであった事もあってか喋り方は大人びている。
何かと背伸びしていてどことなく偉そうだが、憎めない。
子ども扱いされると怒る。
時折、父譲りの黒さが滲み出るのは仕様である。

嫁の豪姫とは、暑苦しいほどのバカップル。
彼女に倣って、家臣団もろとも吉利支丹に改宗しよう・させようとして猛反対を食らうほど。
しかし諦められず、気持ちだけは吉利支丹のつもりでいる。

実父よりも幼い頃に子守をしてくれた行長に懐いており、三成や吉継の事も兄のように慕っている。

何でこんなに傾いた格好になってしまったのか…。

肖像画のお顔が派手な人(待
戦国時代にあのお顔は反則だと思う。
関ヶ原に参戦した武将の中、最後まで生き残った話は有名。

父親の事は本音では好きだが、反抗期真っ盛りの頃に亡くしてしまったという事もあり、素直に甘えられなかった事を後悔しつつも、ウゼェという気持ちもあったりなかったり(酷

基本的に世間知らずの我儘お坊ちゃん。
実は関ヶ原の首謀者だったという説が急浮上中。
というか、彼の突然の挙兵の報に三成が呼応して下準備を進め、そのお陰で色々が間に合わなかったという話。首謀者というより引き金。




宇喜多直家(1529~1582)

官職:和泉守
自称:俺
外見:体はあまり大きくなく、細身。
    顔立ちは整っているが、鋭利な刃物のようであり
    体温を感じない系で、少々青白い。

俺様属性な秀家の父。
6歳の時に祖父が暗殺され、父・興家と共に放浪の人生を送っていた。

しかし、成人して頭角を現すようになってくると、祖父の仇敵に始まり、謀殺と暗殺を繰り返す事で次第にのし上がっていく。
ついには主家をも滅ぼし、中国地方の大名となった。

周囲から非常に恐れられているが、強烈なカリスマの持ち主であり、厳しい反面、面倒見も良い為、家臣団に熱狂的なファンがいる。
また、年を取ってから生まれた秀家がかわいくて仕方がないという親馬鹿の面ももつ。実際、彼が生まれてから人柄が穏和になったと称する声も。

小西行長の実家の薬屋とは深い付き合いがあり、行長はその縁で出入りしていた家臣。

体温が低く、手は常に冷たい。

活動していた場所・年代がサイトの傾向とずれているので、ほとんど登場しないかと思われ……。
でも結構好きです、宇喜多親子。

wikipediaによると「暗殺・謀殺行いが多いと伝えられるところからあまり人気が無いが、少数ながら熱烈なファンも存在する」とのこと。
熱烈なファンのうち、何割が同人系なんだろうと思った私は紛れもない同人脳の持ち主。




明石全登(1566~1618?)

官職:掃部頭(かもんのかみ)
自称:私
武器:棒
外見:穏やかで知性を感じる顔立ち。
    その落ち着いた雰囲気もあってか、若い頃は実年齢より
    ずっと年が高く見られていた。
    艶のある黒髪は短く、前髪を後ろに撫で付けている。
    白いロングコートを羽織り、中に着ているものも南蛮風。
    手首にロザリオを巻きつけている。

宇喜多家の家臣。
お家騒動の際、多くの家臣が離れていったが彼だけは秀家の傍に残り、最後まで力を尽くして仕えた。
吉利支丹。洗礼名ジョバンニ。

関ヶ原敗北の際、「金吾と刺し違える」と叫び飛び出そうとした主君を押しとどめ、脱走させる。自身もまた、またいとこに当たる黒田長政の助けを借りて脱出に成功する。
西軍・東軍と立場は違えど、血縁関係であり、吉利支丹同士という事もあってしばし黒田家に匿われる。

宇喜多家改易後は浪人していたが、大坂の陣では豊臣方として参戦。徳川方を震えさせる働きを見せるも、落城。逃げ落ちる。
その後の行方は不明だが、熱心な吉利支丹であった彼が自害するはずもなく、大規模な明石狩りが行われたが結局見つかる事はなかった。

てるずみ、たけのり、ぜんとう、等いろいろと読み方がありますが、ここでは「てるずみ」で。
てるみんと呼ぶと最古のエレキ楽器みたいだ(どうでもいい)

見た目がなんだか、るろ剣の誰かぽいけどキニシナイ。

世間ずれした若い殿に仕えていて…
家臣団の筆頭であり軍師で…
全身全霊、主君に尽した…
どこかの主従に似てると思ったのは私だけじゃないはず。

たぶんどっちも苦労人。

まぁ全登自身も若いんですが。
(wiki生年では幸村・正宗の1つ上、三成・兼続の6つ下)

ごめんよ、もっと年上だと思ってたよ。
ぶっちゃけ殿より年上だと思tt(強制終了

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