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 とにかく、初めて出会った時から気に入らなかった。
 知識をひけらかすような態度が、鼻について仕方ない。
 ――石田佐吉。
 寺小姓あがりで、頭だけが取り柄の。
 生意気な軟弱者。
 
 とにかく、初めて出会った時から気に入らなかった。
 力を誇示するしか能のない、猪ぶりには辟易する。
 ――加藤虎之助。
 秀吉様と血縁がある、ただそれだけの。
 知恵の足らぬ餓鬼。

 ああ、はらがたつ。
 はらがたつ。
 なによりも、こんな事に腹を立てる自分に、はらがたつ。

 ……要するに。
 虎之助は佐吉に対して頭の良さを、佐吉は虎之助に対して武力の高さを、それぞれ理解し認めているのだが、初対面での態度が互いに好かなかったばかりに、相手の能力を「気に入らないモノ」として認識してしまったのである。


 虎之助のひとつ年長になる福島市松も、彼らと同じく、長浜城主羽柴秀吉の小姓である。だが、虎之助や市松と、佐吉の大きな違いは、ふたりとも秀吉と血縁のある者であり、その縁で幼子の頃から仕え、元服前でありながらにして大人も顔負けの腕自慢だという事だった。
 対して佐吉は、ひとり近江の出身で、体も小さく、病気がちな寺小姓あがり。
 自分とは何から何まで対照的な2人が、先輩小姓として先に居座っているのである。
 佐吉にとっては、この長浜城内は、到底居心地の良いものではなかった。しかし、自分に目をかけてくれた事への恩は返さねばならない。
 自分の武器は知恵と気転、そして算術だ。秀吉はそれを買ってくれた。それに応えなければならない。 

 元から、佐吉は自信家で気性の荒い性分である。しかし、正面からまともにやりあうのは無意味と考え、心無い嘲りは「相手にしない事」で受け流し、怒りをこらえてきた。
 しかし、その態度は虎之助や市松にとっては生意気にしか写らなかった。
 佐吉の、自分を守るための不器用な頑張りは、皮肉にも、より一層の反感を買う結果になったのである。 

 そんな中、佐吉の紹介で旧知の友である大谷紀之介が加わり……。
 しばらく経ったある日、事件は起きた。

   *   *   *   *   *

「もう我慢ならぬ」
 口調こそ静かだが、その奥に見える怒りは、まるで地の底から吹き上がる烈火のようであった。
「ふん、書を読むしか脳のない佐吉風情に何が出来るというのだ」
 庭先で木刀を構えた虎之助が、縁側で書の山を抱えている佐吉を挑発する。
 佐吉は何も言わず、ただ冷めた目で虎之助を睨むと、書物の一つを残して床に投げ捨てた。同時に、手にしたそれを虎之助目掛けて投げつける。
「な……?」
 まさか書物を投げつけてくるとは思わなかった。
 あの佐吉が。
 驚きで一瞬判断が遅れた。

 寸前、飛んできた書を払い落とす。が、既に目の前には、裸足のまま縁側から飛び出してきた佐吉の姿。
(不味いっ)
 思った時には、佐吉の拳がまともに虎之助の顎を捉えていた。
 見事に命中し、背後の池に背中から落ちる。
「げほっ……うぇ」
 藻の浮いた水を飲んだらしく、体を起こすなり大きく顔をしかめた。

「お虎!?」
 一瞬の事で、始終を見ていた市松は目を丸くするしかない。
 いくら虎之助が佐吉よりいくぶん小柄で、不意をつかれたとは言え、自分と同じく腕自慢の虎之助が、頭だけの奴と見くびっていた佐吉に一撃を決められたのだから。
 ぐい、と汗を拭い、息をはずませながら、佐吉は再度虎之助に飛びかかった。
 小さな体がふたつ、池の中で揉み合いになる。
「虎、佐吉!」
 市松が叫ぶが、二人の耳には入っていないようだった。

 佐吉が虎之助の髪をつかみ、池の中に顔を沈める。
「やめ……っ」
 本気だ。
 佐吉の殺意を感じた市松は、後先もなにも考えず、池に飛び込み佐吉を羽交い絞めにした。その細い指先に、虎之助の抜けた髪が絡みついていた。
 げほげほと激しく咳き込み、喉を押さえながら憎々しげに佐吉を睨みつける虎之助。
 一方の佐吉は、肩越しに、市松へと冷たい眼を向ける。
「邪魔だ。――離せ、松」
 ぞくり。
 あまりに冷たい声に、本能的な恐怖が働いた。
 するり、と市松の手が離れる。しかし、動いたのは虎之助の方が早かった。
「佐吉の……分際で……っ!」
 一瞬の隙だった。虎之助の拳が、佐吉の顔面に入った。彼の背後にいた市松もろとも、池の中に尻もちをついた。
「所詮腑抜けは腑抜けだな」
「貴様……」
 口の中を切ったのだろう。佐吉の唇から鮮血が零れ、池の水に一滴の朱が広がった。

 事態は最早、市松の手には負えなくなっていた。
 急いで紀之介とねねを探し、うろたえながらも状況を訴え、連れて来るのが精一杯だった。


 ふたりを連れて戻った時には、それはとても酷い有様であった。
 既に水から上がっていたものの、そこら中に血痕や胃の中の物が飛び散っている。それでも争いは収まらず、血走った目でにらみ合いながら取っ組み合いは続いていた。
「あんたたち、なにやってんの! 喧嘩はやめなさい!」
 ねねが声を張り上げるが、耳に届いた様子はない。
 これは既に「喧嘩」と呼べるような生易しい代物ではない。
 一対一の決闘、命の取り合いだった。


 最初から、あまり気の合う二人ではなかった。
 しかし、紀之介が来てからは佐吉の気性も幾分落ち着いたかのように見えた。
 なのに、何故、突然?


「……殺す」
 ぼそりと、佐吉が呟くように、吐き捨てるように言い、虎之助を掴み倒した。そのまま馬乗りになり、足もとに転がり落ちていた鋭く尖った石を拾い上げる。
 そしてそのまま、虎之助の頭上に振り上げた。
「さ、佐吉、まっ……!」
 懇願する声も聞かず、佐吉はそれを振り下ろした。
 ざっ、と何かを裂く音、そして手ごたえ。
 ……尖った石の刃は、反射的に顔を背けた虎之助の左頬を、大きく抉っていた。

「虎!」
「佐吉!」
 恐怖による金縛りから解かれた市松と紀之助が、ほとんど同時に飛び出した。
 市松が佐吉を再度羽交い絞めにし、紀之助がその頬を打つ。
 びくりと佐吉の体が跳ねた。
「……きの……すけ……?」
 驚いたように紀之助を見つめる佐吉。そのまま、少々焦点の定まっていない目でく辺りを見回し。
「お、おい佐吉!」
 市松の腕の中で意識を失った。

 
 虎之助はこっちで手当するから、佐吉の事は任せたよ。
 すっかり顔が白くなった虎之助を連れていったねねの言葉に従って、市松が佐吉を背負い、城の廊下を歩いていた。その隣に、紀之介。
「市松。なんでこんな事になったのか、聞いてもいいかな。佐吉は負けん気が強い奴だけど、今日のはあまりにも……人が違っていた」
「……今日のは、多分、お虎が悪い」
「へぇ、珍しい。佐吉の味方するなんて」
「こいつが、叔父貴……っと、秀吉様に士官した時、ほとんど同時期に親父と兄貴も仕官したってのは」
「知ってる。ふたりには、色々とお世話になった事もあるし」
「そっか。まあ、そのふたりが就いた場所は違うけど、虎之助はそれをからかったんだ。『父親から離れられず、父親も子を離さずか。聞けば、浅井に敵対する血統の土豪でありながら、対抗もせずに黙ってひたすら領地を守っていただけ。まるで腰ぬけ。親子そろって頭でっかちの軟弱者だ』ってな」
 紀之介は一瞬目を見開き、やがて穏やかに寂しげに微笑み、眠り続ける佐吉を見た。
「それは怒るのも無理はないね。佐吉は家族を尊敬しているから」
「そうか……。俺は、そういうのよく分からねぇけど、きっと、いい親父と兄貴なんだろうな」
「……そうだね」
「だけどな、虎之助は確かに言っちゃまずい事を言ったんだろうけど、軽蔑したりしないで欲しいんだ。……あいつ、ずっと昔に親父亡くしてるからさ。羨ましかったんだと思う。叔父貴が父親代わりになってくれてるけど、それでも、実の父親と一緒になんかやって信頼しあって、なんて事、もう絶対に出来ないんだよな」
 紀之介は必死に虎之助をかばう市松を見つめ、ちいさく微笑んだ。
「大丈夫。わかってる」



 その後――
 虎之助と佐吉の回復を待って、4人に5日間の厠掃除が命令される事になる。
 市松も紀之介も完全にとばっちりもいい所なのだが、連帯責任というのは単なる名目で、彼らがまた争わないように、という見張りである。ふたりもそれを分かっているのか、黙って従った。

 厠掃除を命じられてから、4日目。
 その日は朝から雨模様で、あたりは湿っていた。
 ざあざあと雨の音を聞きながら、重苦しい空気の中で黙々と掃除をする4人。
 ちらり、ちらり。
 佐吉と虎之助が何度か相手の方を見遣り、やがて視線がぶつかった。
 一瞬、互いに視線を逸らそうとするが、留まる。
 しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは虎之助だった。
「……佐吉」
「なんだ」
「先日は済まなかった」
 ――珍しい。虎が謝るとは、季節はずれの雪が降るかもしれんな。
 そのくらいの嫌味は言われるだろう。そう、思っていた。
 だから何度も頭に描いた。怒らないように。怒らせないように。
 だが、佐吉の反応は違った。
「俺の方こそ、やりすぎた。すまぬ」
 そっぽを向いてこそいるものの。
 その頬がほんのり朱に染まっているのは、隠しようもなく。そっけない態度も、単なる照れ隠しなのだろう。


 気がつくと、雨の音が静かになっていた。
 小窓から、光が差し込んでくる。
「雨降ってなんとやら、かな」
 光の筋に目を細め、ぽつりと、紀之介が呟いた。
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