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もう、どれほどの時が過ぎただろうか……。
蔵中に充満していた埃の臭いは、鼻が麻痺したのか慣れたのか、気にならなくなった。
天井の隙間から差し込んでいた光はいつしか消え、目の前に広がるは闇。
切なく、腹の虫が鳴く。
二十を少し超えたと思わしき年格好の若者――石田三成は、ため息をついて蔵の扉に背を預けた。少しでも、外の音が聞こえてくるように。
「まさか、忘れられているなどという事はないだろうな」
ぽつり、とひとりごちて。
ひりひりと痛む顎をさする。
あの人の事だ。
『ありゃ、すっかり忘れてたよ。ごめんごめん』
なんて事も無いとは言えない。
はぁ、と幾度目かのため息をつく。
……と、背後の扉越しに気配を感じた。
背を預けている扉が軋み、重さが乗る。扉の向こうで、誰かが背を預けたようだ。
「佐吉」
……あぁ。
三成は目を閉じ、扉越しに背を合わせている人物の声に耳を澄ませた。
「なんだ、紀之介か」
くすり、と笑う声が聞こえた。
「なんだはないだろう? 寂しくないかと思って、せっかく来たというのに」
「別に、寂しくなど」
僅かに語気が荒くなる。が、それ以上の事は言えなかった。
静寂が走る。それに混じる、虫の声。
先に沈黙を破ったのは、吉継の方だった。
「……また、お虎とやりあったんだって?」
「違う。虎じゃない。松だ」
「うん、知ってる。黙りこまないように、鎌をかけただけ。……珍しいね、市松と喧嘩なんて」
市松こと福島正則と三成とは、特別仲が良いわけではない。が、正面きってぶつかりあう事は稀だった。
三成は頬をふくらませ、再度、顎を撫でた。
「一体何があったんだい?」
「……この間」
「うん」
「弥九郎からもらった金平糖を、松に食われた」
「…………」
ぽかん。
吉継の開いた口が塞がらない。
………。
……。
「……佐吉」
「なんだ」
「いったい幾つになったんだ?」
「おねね様と同じ事を言わないでくれ」
顔いっぱいに不機嫌を張りつけて、三成が言う。
「あれは疲れを取る良い薬になるから、大事に大事に取っておいたのだ。それを、松の奴め。治水対策に駆り出されて疲れたからと、目ざとく見つけて盗み食いしおった。だから殴りつけてやった」
ふん、と鼻を鳴らす。
とはいえ、一方的に殴って済むような相手ではないので、三成もまた、自身の顎に痛い一撃を食らったのだが。
「佐吉ってさ……」
ため息混じりの、吉継の声。
「恐ろしく頭が切れるくせして、頭悪いよね」
「五月蝿い」
「もう子供じゃないんだから。もう少し、穏便に事を進めても良かったんじゃない? いきなり手を出すんじゃなくってさ」
「俺は悪くない。盗み食いする方が悪い」
「そうだね。……でも、正しい事を正しいと、押し通すだけでは不必要な敵を作る」
「それがどうしたと言うのだ? 敵が出来た所でどうとも思わん」
「……佐吉のそういう所、わたしは好きだけどね」
困ったように笑って、吉継が続ける。
「頭の良い君の事だから、分かっているだろうけれど……今の世の流れは秀吉様に向いている。わたしたちの立場も重要になってくるだろうし、働き次第で地位も上がるだろうね。特に君は、計算や内政の能力が群を抜いて高いんだから、きっと出世頭になる。だからね」
「何が言いたい?」
「ただでさえ政敵を作りやすい立ち位置にいるのに、進んで敵を作るのは損にしかならないって事。今のうちに、自分を理解してくれる味方は増やしておいた方がいい。今はつまらない喧嘩程度で済んでいるけれど、このままだと……命を狙われかねないよ」
視線を落とし、吉継は、小袖の上から自らの腕を抱いた。
「……わたしだって、いつまで傍にいられるか分からないのだから」
その体は、微かに震えていた。
ここ最近、妙に体調を崩しやすくなっていた。
咳をすれば、喉や鼻に血が混じる事もあった。
吉継は、薄々感づいていた。
それが、死に至る病の前触れだという事に。
しかしこの事は、まだ、吉継本人を除いては誰も知らない。
「馬鹿をいうな」
怒気を含んだ三成の声に、吉継の体がびくりと跳ねた。
「そんな、へらへらと笑って他人の顔色を伺わなければ得られぬのなら。そんな味方なら、いらない。……だから」
次第に尻すぼみになっていく、声。
それは、震えていた。
「……だから、そんな寂しい事……言わないでくれ」
不器用な親友の言葉を耳にして。
吉継の顔に、笑顔が浮かんだ。
どこか寂しげで、儚なげな笑顔だった。
「泣いてるの?」
「ばっ……泣いてなど、いない」
慌てた様子の三成にくすくすと笑い、彼は、自分の両の手を見た。
自分の生を確かめるかのように、何度も、手を握る。
「佐吉」
「なんだ?」
……ありがとう。
「なんでもない。……さて、佐吉も反省しているようだから出してやってくれと、おねね様に掛け合って来ようかな」
「何を言うか。俺が反省する必要などない」
「たまには、折れる事も必要だよ。いい加減、お腹も空いたでしょ」
その言葉に同調するかのように、三成の腹の虫が鳴いた。
「ほら」
「む……」
「……それに、何も佐吉だけがお仕置きされている訳じゃないよ。市松だって、相応のお仕置きを受けている」
「ほう?」
「人の物を取るなんて悪い子だね、お仕置きだよ!……って、延々と説教された挙句、あの年でお尻百叩きだよ?」
ぷっ。
力が自慢のいかつい武者が、二回りも体の小さいであろうねねに抱え込まれ、尻を叩かれている……。
その姿を思い浮かべるだけで、自然と笑いがこみ上げる。
「ハハッ……」
「ふふっ」
秋の夜長――。
夜の城内に、ふたりの笑い声が静かに響く。
笑い声を聞きつけたねねが、三成を閉じ込めていた事を思い出して大慌てでやって来るのは、もう少し先の事。
それまでの間、扉を挟んで背を合わせたふたりは、他愛もない話に花を咲かせるのであった。
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