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捕らえられた石田三成の身柄は大津城に護送されており、数日城門前に生き晒しにされた後、今はその離れに幽閉されている。
おそらく、これから数日もしないうちに大阪に移され、罪人として引き回しにされるのだろう。
だが、死が間近に迫っているにも関わらず、その顔は驚くほどに穏やかで。
白く細い面立ちが、儚げな美しさを際立たせていた。
かなかなかな。
かなかなかな。
ひぐらしの鳴き声が耳に入り、三成はわずかに目を見開いた後、小さく微笑んだ。
この数ヶ月というもの、よほど忙しくしていたらしい。季節が変わっていたことに、まるで気づいていなかった。
「……そうか」
ぽつりと、ひとりごちる。
そこまで、余裕を無くしていたのか、俺は。
先の戦で、紀之介、父上、兄上、他にも多くの人が逝ってしまった。
左近討ち死にの報は耳に届いていないが、あの怪我では望みは薄いだろう。
戦場から落ちた際に、左近が残した言葉が、未だ耳に残る。
『生きて、反撃の機会を伺うんですよ。最後まで諦めないで食らいつくのが、この戦を仕掛けた殿の責任って奴でしょう』
「……全く。簡単に言ってくれる」
左近よ。
恐らくお前は、俺が再起し、徳川方を廃し、秀頼様の傍らで支える事を望んでいるのだろうが……。
どうやらそれは、叶えられそうにもない。
しかし決して、豊臣家の、秀頼様の天下を諦めた訳ではない。
諦めるはずがない。
ただ、とても大切なことを思い出したのだ。
そして、それを信じようと思ったのだ。
ああ。
何故、もっと早くに、気づけなかったのだろう。
「……そこにいるのだろう? 松に、お虎よ」
豊臣家の未来を案じているのは、俺だけではないということに。
* * *
唐突に。
襖の向こうから声をかけられ、加藤清正と福島正則の心の臓は跳ね上がった。徳川方にいらない詮索をされないよう、人目を忍んでやって来ていたものだから、余計に。あまりの驚きに、昔の呼び名で呼ばれていた事にすら、ふたりは気づいていなかった。
尤も、彼らとしては、単にからかいに来ただけなのだが。
「どうした、入って来ないのか?」
鼻持ちならない昔馴染みの三成に、馬鹿にされては適わぬと、正則は襖を開け放った。
そして、息を呑んだ。
「三成、お前」
「いいから中に入れ。徳川連中が来たら面倒だ」
正則の言葉を遮り、清正は彼を押し込むようにして部屋に足を踏み入れる。
彼もまた、三成の姿を目にし……ふう、と息をついた。
死も近づいているというのに、あまりに落ち着き払ったその顔は、まるで憑き物が取れたのように晴れ晴れとしていて。
からかいに来た自分が、急に、馬鹿馬鹿しくなった。
「久しいな」
どかりと胡坐をかき、三成をまっすぐに見据える。
「最後に会ったのは、いつになるか」
「……そうだな。こうやってまともに顔を合わせるのは……そうだ、名護屋の築城以来ではないか?」
「かもしれぬ。俺とお主とが中心になって、あまりの速さに周りを酷く驚かせた」
「ああ、そうだった。あれから年月はさほど過ぎていないはずだが……なんだかとても、懐かしい」
切れ長の、形のいい目を細める三成。
その様子に、清正ははた、と気がついた。
こんなにも、穏やかに笑うような人物であっただろうか。
自分の記憶では、もっと傲慢で、高圧的で、気性が激しく、負けん気が強く、何かにつけて嫌味で、つまりは鼻持ちならない男だったのだが……。
いや……と、疑念を打ち消す清正。
死を目前にして、強がる気力もないだけだろう。
「三成。何故、貴様ほど頭の切れる男が、あのような無謀な戦いを挑んだ?」
「本当に、無謀だと思うか?」
「何?」
「結果として、あの老獪な狸の方が根回しが上手かったようだが、家康の首を取る目は充分にあったと思うのだが。例えば小早川、例えば朽木ら。奴らの行いのうち、ひとつが違っていただけで、どう転んでいたか分からぬ。そうは思わぬか?」
にやりと、含みのある笑みを浮かべる三成。
人によっては、ただの負け惜しみと取るかもしれない。
だが清正は、三成は本気で勝つつもりで、あの無謀とも思える戦を仕掛けたのだと感じた。
「……さて、お虎、そして松よ。俺からも、問いたい事がある。何故、徳川方についた? 秀吉様亡き後の奴の専横ぶりを見れば、どちらが咎められるべきか明らかだろうに」
まっすぐに、射抜くように。
清正と正則を交互に見やる三成。
「そんなもん」
うなるように、声を漏らした正則が。
「お前が気に入らなかったからに決まってるだろう!」
激昂した。
「いつもそうだ。その目だ。自分は全て分かっていると言わんばかりにそうやって見下して!」
胸倉を掴み、つばを飛ばしながら怒鳴り散らす。
三成はわずかに顔をしかめたが、何も言わずに聞いていた。
「いっつもいっつもいいっつも、後ろから偉そうに講釈たれて小馬鹿にして! 嘘の報告で叔父貴に取り入って、利家公に擦り寄って。都合よく威を借りて、さぞいい気分だっただろうよ!」
「市松。よせ」
「……ちっ」
清正に静止され、投げ捨てるように手を離すと、三成は崩れ落ちるように畳に伏せた。
激しく咳き込みながら、問う。
「言いたいことは、それだけか?」
「なんだと、喧嘩を売っているのか?」
「いや、そうじゃないんだ。……なるほどな」
何かを納得した様子で、着物の乱れを直しながら続ける。
「……そうか。俺は、そのように見られていたのか。昔なじみのお前たちですらそうなのだから、人がついてこなかったのも、無理からぬ話……というわけか」
どこか、寂しげに。
「三成。何故、自決しなかった? 自決していれば、生き晒しなどという辱めを受ける事もなかったろうに」
「なにを馬鹿なことを」
ふん、と鼻を鳴らし、受ける三成。
「死ねば、そこで終わりだ。反撃する機会の芽を自らつぶすなど、愚か者のすることだ」
「だが、お前は捕らわれ、辱めを受けた。あとは処刑を待つ身だろう」
「それでも、その時まで何が起こるかは分からぬのが世の常。それに、もし俺が死ぬことになろうとも、俺の志を受け継ぐ者はいるはず。その者らの為にも、俺は死ぬまで『石田三成』でなくてはならぬのだ。だが、腹を切るという事は、すなわち降服の姿勢を見せるということ。その方が、俺にとっては屈辱だ」
相変わらずの、自負心の塊のような論に、苦笑するしかなかった。
と同時に、安心もした。
「変わらないな、お前は」
「それはお互い様だろう」
その途端、苦しげに顔を歪め、激しく咳き込んだ。口元を押さえた手の中に、わずかに混じるのは――朱。
「三成、お前、それ! もしかしてさっき、変なとこぶつけたのか!?」
血相を変えた正則を制する三成。
「案ずるな。この数ヶ月の間、少し、無理をしすぎた。それが祟っただけだ」
しかしそうは言うものの、ぜえぜえと、息を整える音が痛々しい。
清正は思案した。
一体この男は、こんなになるまで無理を押して、ひとりで何と戦ってきたというのだ?
豊臣家の中枢に返り咲き、権力を己が物にする為の私闘ではなかったのか?
だから、朝鮮出兵を利用して、武断派を排除しようと虚偽の報告をしていたのではなかったのか?
秀吉様に取り入り、利家公に擦り寄り、威を借りていたのではないのか?
今まで見てきたはずの「三成」と。
こうして目の前にいる「佐吉」と。
その差はなんだ? 何が違う? なにがおかしい?
変わったのは、なんだ?
ただ、ひとつわかったことは。
この男の中にあるのは、今も昔も変わらず、豊臣家を何よりも大切に思っているということだ。
志は同じであったはずなのに。
「俺たちとお主の生きる道は、一体どこで、分かれてしまったのだろうな」
「……何を言っている」
ぽつりと呟いた清正の言葉に、息を整えた三成が答える。
「分かれてなどおらぬ。俺もお前たちも、昔から今に至るまで、豊臣のことばかりを考えているではないか。ただ、やり方が違っただけのことだ」
ふうう、と、長く、息をつく三成。
「俺は、ひとりで背負いすぎた。ひとりででやらなければならぬと、思い込んでいた。それが、間違っていたのだろうな。豊臣家臣団の中に亀裂が生まれ、いいように利用されてしまった。……もう少し早く、お前たちを頼っていれば、徳川の狸の専横も食い止められていたのかもしれないな。……だが、まだ遅くはないと信じている」
まっすぐに。
清正と正則を交互に見据え、彼は言った。
「だから頼む。松に、お虎よ。……秀頼様を、豊臣家を、家康から守ってくれ」
それは、矜持の塊とも言うべき誇り高き男から発せられた、最初で最後の頼みだった。
二人は思わず肩に手を置き、見た目より遥かに細くなっていたそれに驚愕した。
こんな細い体で、豊臣を案じ、守ろうとしてきたのか。
「無論だ。任せておけ」
* * *
それから数日後、石田三成は小西行長、安国寺恵瓊と共に六条河原で処刑された。
それはとても穏やかな日のことで。
雲ひとつない秋晴れの空は。
悲しいほどに、高く、澄み切っていた。
……そう。
まるで、石田三成の生き様を象徴するかのように。
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