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「それでは、兄上。しばらくの間、宜しくお願いします」
大阪、堺の奉行屋敷にて。
石田三成は、兄、石田正澄に頭を垂れた。
「はい、確かに」
境の町の状況を事細かに記されている書物を捲りながら、正澄は頷く。
几帳面すぎる内容に反して、お世辞にも綺麗とは言えない文字に苦笑しながら。
文字そのものは決して下手ではないのに、文など読めれば良いと、丁寧に書こうとしないのだ。
昔から、この子は何も変わっていない。
だから、仕事ぶりに関しては何一つ心配する事はない。
兼任している博多の奉行職も、町の復興が終わるや否や父を代官に立て、引き継いでいる。主君の本拠地である大阪や、京の都に近い堺の方が何かと都合が良いからと。
だが……。
「ようやく天下も統一されたというのに、また戦とは。それも、朝鮮という異国の地で」
「俺だって、この戦が必要だとは思っていません。でも、進言しても聞き入れては頂けなかった。ならばせめて、滞りなく事を進め、犠牲を最小限に抑えるよう計らうのが、総奉行に指名された俺の役目です」
「佐吉君の事ですから、そんな事は心配してませんよ。紀之助君も一緒ですし。ですが」
「……ですが?」
正澄は、三成を見て真顔で言った。
「慣れないものを口にして腹を壊さないかと心配で心配で」
……ぷっ。
思わず、噴き出したのは三成の傍らに控えていた筆頭家老の島左近。
「そりゃあ確かに心配ですな」
「左近!」
恥ずかしさからか怒りからか、顔を赤くして怒鳴りつける三成。
「いやいや、正澄さんだって左近だって、心配してるんですよ?」
「にやけた顔で言われても説得力などないわ」
フン、と鼻を鳴らし、席を立つ三成。
「やりかけの仕事があるので失礼する」
パァン!
襖を鳴らし、若い奉行は部屋を後にした。
苛立った足音が遠ざかっていく。
「すみませんね、正澄さん」
「いえ、良いんですよ。むしろ、少し安心しました」
「……と、仰いますと?」
「あの子は昔から、あまり感情を露にしない子でしたから。不平も不満も口にする事なく」
「ほぅ」
それは意外だ、と、左近の目が言った。
何しろ石田三成と言えば、頭の切れは早いが自負心が高く融通が利かず、口を開けば憎まれ口を叩くと、そういう印象を抱く者が多い。事実、左近も仕えるまではそう思っていた。尤も仕えてからは、それは表向きだけで、実際には真っ直ぐすぎる感情を上手く処理出来ない、ただ不器用なだけだと知ったが。
どちらにしても、左近の知っている三成とは違う。
「意外ですか?」
「失礼ながら、そんな殿を見たら槍が降るのではないかと不安になりますな」
ふむ、と左近は少しばかり思案し……。
「正澄さん。石田家に仕える家臣の身でありながら、立ち入った事を伺いますがね」
「なんでしょう?」
「……殿と、何かありました?」
常に穏やかな笑みを浮かべている正澄の顔から、一瞬、それが消えたのを左近は見逃さなかった。
顎をさすりながら、左近は続ける。
「いえね、殿も正澄さんも、お互いに信頼しあってるっていうのは分かるんですよ。俺も色々な家を渡り歩いてきましたが、これほど、お互いを信頼して分かりあい、支え合っている兄弟も珍しい。ましてや兄が弟を、って形では本当に稀有だ。世の中じゃ、親兄弟で殺し合うってのも珍しくない話なんですがね」
「ええ。僕にとって佐吉君は、可愛くて仕方のない弟ですから」
「だからこそ、気になるんですよ。お二人の間に、どこか遠慮があるように感じてならない」
決定的な、一言だった。
正澄の顔から、完全に笑顔が消えた。
「……流石ですね。佐吉君の事を大事に思っているのは事実ですが……そうですね。大事に思わなければいけない、影日向となり支えなければならない、という気持ちは、心のどこかにあるでしょうね」
「それは……なんでまた?」
「……罪滅ぼし、とでも言えば良いでしょうか」
誰が、誰に、何の?とは、聞けなかった。
聞いてはいけない気がした。
しかし同時に、口を開かせてしまった以上、聞かなければいけないとも思った。
「左近殿は、僕や佐吉君の母上の事はご存じでしょうか」
「いえ……全く」
父や兄の話は度々口にする事もあったが、母がどうしているのかは聞いた事がなかった。
耳にしないという事は既に亡くなっているのかもしれないと思い、左近から聞く事もなかった。
「薄々、察しはついているかもしれませんが、母は既におりません。佐吉君を産んで間もなく……亡くなりました」
「それは……辛うございましたな。正澄さんも、殿も」
「ええ……でもある時、言ってしまったんです」
一息ついて、正澄は続けた。
「お前が生まれたせいで母上が亡くなったんだ、母上が亡くなったのはお前のせいだ、と」
左近は、息を飲んだ。
「それは……」
二の句が続かない。
それは、あまりにも残酷な言葉。
「佐吉君が、家族の前で感情を表に出さなくなったのは、それからです。何があって、そんな事を言ってしまったのかは覚えていません。でも、僕も佐吉君もまだ幼い頃の話ですが……あの時の佐吉君の顔は、今でもしっかり覚えています。そして、なんであんな事を言ってしまったのかと、ずっと後悔しています」
正澄は眉を寄せ、自嘲気味な笑顔を作った。
「酷い兄でしょう? 罪滅ぼしという言葉で罪の意識を誤魔化して、弟の為と恩を押しつけているのですから」
「それは……」
なんと言ったら良いのか。
少なくとも、三成は正澄を恨んではいないだろう。
むしろ、自分が兄を傷つけたと思っているのではないだろうか。
自分が生まれた事で、兄を傷つけてしまったと。
だが、その考えを伝えた所でどうなる?
昔に放った自分の言葉が原因とはいえ、より自分を追い詰めかねない。
(全く、兄弟そろって不器用すぎるんじゃないですか?)
左近は天井を仰ぎ見て、内心ため息をついた。
「左近が思いまするに、正澄さんは」
一言ひとこと。
言葉を選びながら左近は口を開いた。
「殿に、許されたいと……思ってるんじゃないですか?」
「そうかも、しれませんね」
「でしたら、無駄でしょうな。殿は、正澄さんを恨んでなどいないでしょうから」
「そんな事は……」
「ありますよ。左近には分かります。もしも、幼いころの言葉に傷ついて、恨みを抱いていたのであれば……あんなにも真っ直ぐに育ちはしなかったでしょう。もっと心の荒んだ人間になっていたでしょうし、左近も心根に惚れこんだりはしていません。いや、それ以前に人たらしの大殿の目に適う事もなかったでしょうな」
親兄弟に大切にされ、互いに信頼しあえる環境で育った者は、疑う事を知らないせいか素直で純粋だ。尤も、立場を考えればそれは同時に弱さでもあるのだが、そんな事は周りの者が気にすれば済む事。
「それに時折、左近に正澄さんの事を話してくれるんですが、必ずこう言うんですよ。自分には勿体ないくらいの自慢の兄だ、って。きっと、殿が遠慮がちなのは……正澄さんと同じように、殿自身も負い目に感じているからなんじゃないですかね。左近には、どう接して良いか、戸惑ってるようにも見えるんですよ。自分のせいで、これ以上傷つけないように、とね」
「そんな、傷つくだなんて事ないのに」
「正澄さん。失礼を承知で言わせて頂きますが、世間の目で見れば、殿たちのご関係ははっきり申し上げて異質です」
きっぱりと、左近は言った。
「兄を差し置き押しのけて弟が……と、そのように見る者も少なくはないでしょうな。自分が出世する事で、兄が心無い噂話や笑い話の種にされるかもしれないと考えるのは、何ら不思議はありません」
左近の言葉を聞き、はぁ、とため息をつく正澄。
「……僕としては、佐吉君が色々とやってくれるお陰で交流も広がりましたし、心おきなく茶や歌を嗜む事が出来ますから感謝しているんですけどね」
「確かに、当人からすれば余計なお世話でしかありませんな。……ま、別に憎しみ合ってるわけでもなし。あんまり気に病まない方がいいんじゃないですかね。意識すればするほど、相手に伝わってしまうもんです。今すぐどうこうというのは難しいかもしれませんが、少しづつ、距離を縮めていけば良いと思いますよ。殿だって、もう子どもではないんですから」
などと言いつつも。
まだまだ、子どもじみている所はありますがね。
左近は、心の中で呟いた。
「仰る通りですね。全く……家老とは言え家臣の身でありながら、こうも無遠慮に進言するとは」
「お気に障りましたかね」
「いえ、逆です。佐吉君は、強がっていても脆い所があるので何かと不安でしたが、貴方のような人が傍にいるのなら心配は無用。主従の枠を超え、隣で支える事も前に立って手を引く事も出来るでしょうから」
正澄の顔に、ようやく穏やかな笑顔が戻った。
「左近殿。どうかあの子の事……これからも頼みます。天下は統一されましたが、それだけでは泰平とは呼べません。大変なのはこれからでしょうから」
「どこまでもお供する覚悟は、疾うに出来ていますよ」
「頼もしい限りです。……僕も、これまで通りあの子の影となりましょう」
正澄は目を細め、天井を見上げた。
その瞳は、天井を抜けた先、空の彼方を見つめていた。
「罪滅ぼしの意識からではなく、僕自身の想いとして……あの子が自分の進むべき道を真っ直ぐに進めるように」
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